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2005/05/20

一歩ずつ

 運動会。子を持つ親ならば、誰もが楽しみにしている行事です。しかし、私の場合、数年前までは楽しい所か、憂鬱な行事でしかありませんでした。


 私の長男は現在七歳。言葉を中心とした、発達の遅れが見られます。三歳になっても、きちんと意味のある単語が出ませんでした。また、一人遊びを好み、いつも落ち着きがなく、じっと座っていることが出来ません。
 今思えば、自閉傾向の表れだったのでしょうが、その頃の私はそういった認識に欠けていました。幼稚園で友達が出来れば、すぐに言葉も出て、態度も落ち着くに違いない。そう信じて疑わなかったのです。
 しかし、そんな私の甘い考えは無残に打ち砕かれました。
 幼稚園に通い始めても、ポロポロと単語が出るだけで、相変わらず文章になりません。
当然のごとく、会話が成り立たず、息子自身も自分の気持ちが伝わらない苛立ちでかんしゃくを起こしました。そして、友達には全く興味を示さず、一人の世界に浸る日々。
 その後、すがるような気持ちで、市内の相談所の門を叩きました。そちらでアドバイスをいただいたり、幼稚園の先生方の親身な対応があったりで、年々、少しずつだけど成長して行く様子が見られるように。
 それでもやはり、運動会は憂鬱でした。集団行動が苦手な息子にとって、この一日は長く苦痛のはずです。まして、父兄や来賓などの見学者が山ほどいて、練習時とは全く違う環境。そんな状況で、息子が落ち着いて過ごせるわけがありません。息子が辛い思いをしている姿を見るのは、私も辛かったのです。
 でもそれだけが憂鬱の原因じゃないことに気づいたのは、年中の時の運動会でした。
 かけっこが始まり、みんなが一斉に飛び出す中、息子は一人泣きわめいて走っていましたが、途中でとうとう立ち止まってしまいました。ざわめく会場。先生方が傍で懸命に励まして下さいました。私はと言うと・・周囲のざわめきに完全に押し潰され、ただ息を飲んで見守ることしか出来ませんでした。
「頑張れ、もう少しだよ」
 喉元まで出掛かっていたこの一言が、どうしても言えなかったのです。
 どうしてこの子はみんなと同じことが出来ないのだろう?
 そんな疑問ばかりが頭の中を駆け巡ります。
私は、みんなと同じことが出来ない息子を恥ずかしいと思っている自分に気付きました。そして何より、我が子をそんな風に見ている自分が一番恥ずかしいのだと。

 その夜、私は息子の愛くるしい寝顔を見つめながら、昼間、自分がした行為を振り返っていました。息子にとって厳しい環境の中、精一杯頑張っていたのに、私はそれを認めてあげることが出来なかった・・深い自己嫌悪に陥りました。
 それまでも、口では
「少しずつだけど成長しているね。これでいいんだね」
と言っていましたが、心底ではやはり早くみんなと同じように成長して欲しいと言う気持ちを捨て切れずにいたのです。
 もしかしたら、知らず知らずのうちにその気持ちを息子に押し付けていたのかもしれません。
 しばらく、私の心の中で葛藤の日々が続きました。自分は母親としてこの子に何をしてあげられるのか、それが見えずにいました。

 そして時は過ぎ、息子は年長へ。担任のT先生はベテランで周囲からの評判がとても良い先生でした。そのT先生の素晴らしさを、私もすぐに実感することに。このことが、私が求めていた答えを探し出すきっかけとなりました。
 先生は人一倍、息子に目を掛けてくれました。例え反応がなくても、毎日笑顔で話しかけ、身体に触れたり、抱きしめてくれたりとスキンシップを取り続けて下さいました。もちろん、やってはいけないことをした時はきちんと叱ってくれましたが、息子の人格を否定せず、ありのまま受け止めてくれたのです。
 そうしているうちに、私達両親以外の大人と関わろうとしなかった息子が、見る見る変わって行くのがはっきり分かりました。やがて、先生の問いかけに、単語の繋ぎ合わせでも、反応するようになり、先生が手を広げると自ら胸へ飛び込んで行くようになりました。
 そうだ、息子は息子。他のみんなと同じじゃなくたっていいんだ。これが息子なんだから、そのまま受け止めてあげればいい。私はどうしてそんなに枠にはめたがっていたのだろう。
 このことに気づいてからは、他の子と比べるのをキッパリ止めました。何か一つでも今まで出来なかったことが出来るようになると、心から喜べるように。まだ次男も手の掛かる時期でしたが、ほんの少しでも、息子との二人の時間も大切にして行きました。
 そして、年長の運動会がやってきました。
かけっこの最中、やはり泣いてはいましたが、去年のように途中で立ち止まることなく、一人で走り切ることが出来ました。
「頑張れ、あと少し!」
 私自身も周りを気にすることなく、大声で応援。ゴールした瞬間は思わず目が潤んでしまいました。
「本当によく頑張ったね。偉かったよ」
 笑顔で誉めてあげると、息子も嬉しそうに笑顔を返してくれました。


 あれから一年。現在は楽しく小学校に通っています。ゆっくりと息子のペースで沢山のことを経験して行けたらという思いで、特殊学級に入れました。毎日の生活の中で息子が感じることを大切にして、共に歩いて行きたいと思います。一歩ずつ、ね。T先生を始め、私達親子に関わって下さった全ての方々に感謝しつつ・・。
 今年の運動会はとても楽しみです。

2004,10月


2005,2月追記
小学校初めての運動会は、親子共々楽しい一日となりました。
昼食直前の競技ではお腹がすいたということもあって、ちょっと落ち着きがない場面もありましたが、それ以外では、かけっこも玉入れもダンスも、明るい笑顔いっぱいで伸び伸びと参加していました。その夜、何度も息子の口から
「うんどうかい、たのしかった」
という言葉が出たのが、とても印象的でした。
年に一度の行事。毎年、少しずつ成長して行く息子の姿をとても眩しく感じています。


最後に・・・
 最近、息子のような個性ある子供達が増えていると言われています。
しかし、今の世の中、そういう子供達は社会からのはみだし者、とされる風潮が、まだまだ見られるように思います。
『みんなと同じ』でいることは、そんなに大事なことなのでしょうか?
とは言え、私自身も以前はそんな枠にはめたがっていた一人です。私も、みんなと違うことはおかしい、変だと考えていました。でも、本当におかしいのは、みんなと違うことではなく、その枠の存在なんだ、と今は実感しています。
 人は一人一人違っていて当たり前なのですから、たくさんの可能性を秘めた個性をもっと大事にして行くべきですよね。
 建物にバリアフリーが増えているように、心にもバリアフリーが必要な時代なのではないでしょうか。お互いに歩み寄って、理解を深め、協力し合って行く・・・そんな世の中にして行きたいですね。

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コメント

いろいろありがとう☆
って、あのー、うちは双子じゃないぞ^^;
うちは三学年離れています。
双子なのは、さっち(さっち自身ね)だってば(笑)

母親って子供の成長に関しては、
どうしても、人と比べたがるとこがあるんだよね。
特に初めての育児だと、不安ばかりが募る。
誰ちゃんはもう寝返りを打ったとか、
オムツが取れたとか、
そうするとものすごーく焦ったりしてね。
今は、それがどんなに無意味なことか分かる。
でもその真っ最中にいると
夢中すぎてそのことに気が付かない。
私の場合、T先生がそのことに気付かせてくれた。
今の私があるのは、T先生のおかげ。
だから、今、そういうことで悩んでる人達に
ぜひ読んでもらいたいなぁと思う。

私が今、気がかりなのは下の子が入学後のこと。
もしかしたら、上の子のことで友達にからかわれるかもしれない。
そんな時、それらを跳ね返す強さを持ってもらいたいんだ。
下の子には、自信をもって
「これが、うちのお兄ちゃんだ」
と思っていて欲しい。
私達両親の姿勢が下の子に届くよう、
精一杯やっていくのみ、だね☆

投稿: きみきみ | 2005/05/21 22:15

かなり重い内容ですね。
かくいう自分も周りからはずれていた存在でしたので分かる部分もありますよ。
まず、周りと同じであるということ。
コレに執着してるようであれば親を止めた方がよいでしょう。
子供の個性なんてそれぞれなんです。
もちろん、周りの顔色を伺うのが上手い子もいるでしょう。たとえどういうタイプの子であったとしても長い目で見守ってあげましょう。
ただ群集心理としては人と違うのは避けたいというのがあるでしょう。
この折り合いが少々難しいかもしれません。
次に比較について。
きみきみの所は確か双子でしたな。
今後、小学・中学と進むにつれて試験という物が数字になって具体的に出てきます。
そうすると自然と数字上の優劣が発生してしまいます。
が、兄弟同士の比較や自分との比較絶対に止めたほうがいいです。
成績が良い方は別に比較されても問題にならないでしょう。
では悪い方はどうなるか?
兄弟同士の場合、負い目を感じる場合があります。
自分は他の兄弟より劣るのだと。
これは親の些細なひと言が原因で起きる場合が多いです。
特に中学期は注意してください。
最も多感な時期で、ほんの些細なことも心に影響を及ぼします。
そして最後に子供が常に求めている物。
それが親(特に母親)のぬくもりです。
記事にもありますが、T先生が行ったことはまさにそれです。
話しかけるのは勿論のこと、体に触れるというスキンシップが一番効果があります。
どうも最近の親はこういう事が出来ないみたいです。
子供が愛に飢える時代と言えるのかもしれません。
この幼稚園、小学校低学年時代のやり方一つで今後の子供の動きに影響がでます。
愛に飢えた(もしくは極端に甘やかされた)子供は中学・高校に入って問題を起こしてくれます。
特に飢えてる方はかまって欲しいという自己アピールのようなもの。
とりあえず、どんな内容でもいいので子供と会話をして、ぬくもりを与えてあげましょう。
言葉とふれあい。
これ無くして子供の成長はありません。
それは母親にしか出来ないことですから。

というのが20余年生きてきて悟ったことです。
とりあえず私は子供時代はあまり良いものではありませんでした。
家の環境は悪くなかったのですが、学校環境が最悪でした。よく、保健室に入り浸ってたのを覚えてます。
愛に飢えてたんでしょうね。
そのせいか今でも同年代とはソリが合いません。
気を付けないと私のような大人になっちゃいますよw

投稿: 魅禰 | 2005/05/20 04:54

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